近所に住む友人から誰かにこの感動をお裾分けしたくて。。。。。と送られてきた芍薬の花の写真 何度撮影しても実物には及ばないそうですが、旦那様がフローリストということもありこの時期になるといつも芍薬の花を家に持ってきて飾られるのだそうです。
毎日色が変化するんだよね〜〜〜〜と彼女の観察眼はかなり繊細な動きを捉えている。 本人は、どこが??と全く自覚はないようですが、私からすると彼女自身とどこか重なるところがあるこの芍薬の花。。。。 植物は私も大好きで家にたくさんの植物を置いています。 何もしゃべらないけれど確かに存在していて、毎日変化している生きもの。土と太陽と水の環境の中で精一杯、黙々とそれぞれの生を全うして生きている姿は確かに感動そのものですね。 先日ヨガ仲間の一人からメイルが届いた。今月初めに忙しい毎日のベルギーでの生活を辞め、今はスイスアルプスを横断するプロジェクトメンバーになってアルプス登山をしている山の途中からのメイルだった。彼女の顔は友人の芍薬の花みたいに輝いていた。今後どうするかはまだ決めていないという。 今を生きる。植物たちのように。 人間たちも植物たちのような生き方から学べることがたくさんあるに違いない。
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新居に引っ越して2ヶ月。新しい空間に体も気持ちも少し馴染んできたせいか、最近は家にいる心地よさを感じ始めている。空間とか環境というのはそのお人柄を作り出している大きな要素なのかもしれないなあ。。。。 普通の平社員だった社員をある日から部長や課長の椅子に座らせると時間と共になんとなくそれらしい雰囲気が出てくるものだ。と何かのコラムで読んだことがある。普段着ではなく、ちょっとした晴れ着に身を包んでみると背筋もピンと伸びてなんだか素敵に見える。などなど。。 ”世の中って外見が全てなのよ〜〜”と昔の仕事場でお世話になったあるお色気たっぷり年配マダムがいつもつぶやいていたのを思い出す。 心地よい環境かあ。。。。 自分が心地良いと感じる空間、環境、服装、友人などを見つけるのは意外とムズカシイものだ。ましてや心地よい仕事場や学校、街、国、世界なんて存在するのだろうか? たとえそれが空間とか洋服とかのモノだとしても、そのモノと自分のエネルギーがうまく調和してくるのには、ある程度の時間がかかるものだ。 友人から新居のお祝いに頂いた沖縄ガラスの花瓶が春の日差しを浴びて心地よさそうに窓際にぶら下がってキラキラしている 自分と何かの間には対話が必要だ 内と外 対話というコミュニケーション力 何で自分は心地よくないんだろう? 何で自分はこの仕事場が好きになれないんだろう? そんな疑問への回答を何となく考え始めることからふと自分の内側の深いところで本当に求めている行きたい方向が見え始めたりする ちょっとした日常の中の瞑想の時間 自分と体の間にはその答えの基本があると思っている なぜ疲れているんだろう? 何で眠りが浅いんだろう? ちょっとだけ体に気持ちを向けるだけでも変化が出てくるはずだ 我が家のヨガスタジオのアイアンガーロープでSirsasanaをやるパジャマ姿の住人
日記ではなく年記といった方がいいかもしれないこの日記。 前回から早くも1年の月日が流れてしまった。 まあ気まぐれ日記ということで時々更新してみようと思う。 さて、今年になって家の引っ越しをした。 自宅にマッサージサロンと小けれどヨガスタジオも併設という環境になり生活と仕事のリズムを調整中の日々。 ヨガスタジオではアイアンガーヨガならではの壁からロープをつける作業も始まりました。 マッサージサロンではオイルトリートメントマッサージ教室も近々開始予定です。 massage3656.wordpress.com/コース内容/ さて先週末はオランダのユトレヒトまでアメリカの女性アイアンガーヨガシニアティーチャーBobby Clennelleのワークショップを受講しに行ってきた。74歳現役。一見近所に住んでいそうな普通の年配女性の雰囲気を醸し出しているのだが、ヨガのアサナをすると体の端々から日々しっかりと鍛錬している様子が見てとれ、そのギャップに最初はかなり驚愕。女性の為のアイアンガーヨガの書籍も何冊か出版していて以前から自分の練習と教本として愛読していた。とてつもない強靭な精神を持つヨギーニに久しぶりに出会い、元気と勇気の贈り物をいただいて帰宅したら家の前の八重桜が満開になっていた。 www.bobbyclennell.com あっという間に6月も秒読み。 今日は満月で明日は夏至なので、エネルギーの大きな変化の時ですよ〜〜。とエンジェルからのメッセージ。 なるほど、ここのところどうも本調子が出ない感じがしていたのはそのせいだったのか? 何はともあれ今年も明日で前半戦の終わり。 先日なんかのヨガの文献を見ていたら面白いものを見つけた。 身体、生理、エネルギー、心理的精神、知性、霊的精神についてのレベルを表にしたもの。 ヨガを始めた初期の頃は身体的なレベルを100とすると生理的、エネルギー的と順番にレベルが低くなり霊的精神性は10くらいのレベルから大抵は始まるそうだ。 ヨガの実践を継続するにつれ、このレベルに変化が出てきて自然とどのレベルにおいてもバランスがとれてくるらしい。 霊的精神性が目覚めてくるとはどういうことなのだろうか? ある日シルシャサナ(三点倒立)をしている時にふと、世の中の全てのことが理解できてしまう。みたいな時が来るということなのか? 悟りの境地。 その後は霞を食べて生き続けるみたいな人生になるのか? 欲望や感情から切り離されて全てをありのままに見れる日 まだまだだなああ。。。。 まあ本調子が出ないという身体のメッセージを聞けるようになっただけでも大きな変化なのかもしれないね ピナバウシュの動きには嘘がない。身体性から霊的精神性までのバランスが取れている感じがびりびりする。ヘビースモーカーだったけど。。。。
昨日はアイアンガーヨガ仲間のマチルダとのコラボレーションのヨガワークショップが無事に終了。 誰かとのコラボレーションは一人でやるのとは違いかなり相手から学ぶことが多い。当然一人ではないからなんだけど、ある意味コミニケーション能力というものがとても大切になってくる。同じことをお互いに違う意味に捉えていたりするから、いちいちそれはどういう意味なのか?と質問したりされたり。毎回打ち合わせの後は脳みその芯が疲れている感じがして、異常に眠くなったりしていた。特ににこちら側の人たちは言葉で理解することが多いから言葉とのやりとりが重要なのだ。これが昨日終わってホッとしている。 今日は息抜きに映画を見に行ってきた。前からいろんな人にすごいいい映画だよ〜〜と噂を聞いていた”Demain”という映画。 http://www.demain-lefilm.com/en 食物生産、エネルギー、経済、教育の分野での世界的な現在の状況と未来へのメッセージみたいにまとめたフランス人による映像作品。個人的には映像の荒さをカバーするかのような音楽の選曲が好きだったなあ。 内容としては、いろんなことを国まかせ人任せにしないで今自分にできることを行動にしている人々がたくさん登場していた。コミュニティーガーデンで近所の人たちと野菜を育てている人たち。できるだけ自然のエネルギーだけで生活をしようとしている人たち。地域通貨を作ってとても楽しそうにそのお金を使用する人たち。中でも印象に残ったのはフィンランドのある学校だった。机とか椅子のない教室で子供達が床に寝転びながら子供同士で自然にできる幾つかのグループで丸くなって(一人の子もいたと思うけど?)で勉強していた。授業中の友達同士の会話もしていいらしい。先生が教壇に立って教えて、生徒が並んで座って学ぶ姿はもう終わってもいいのではないか?と先生は言っていた。建物もモダンでとてもおしゃれな建物で、思わず私も子供だったらこの学校で勉強したい!!と思うってしまう魅力があった。感受性の強い時期の子供たちがあんな学校に通っていればきっと自慢の学校になるだろうなあ。カフェテリアのような食堂で先生も生徒もみんな好きな席でランチタイムを過ごす。なんともファミリアルな雰囲気の学び舎。 映画を見終わって自分の生活を思い直してみる。自分にできること。。。。 小さなことでもいいからはじめの一歩を踏み出すことで何かが動き出すのは間違いないはずだ。 Photos:プライベートクラスのお宅の庭の桜&HALの森ベルフラワーとアネモネの原種
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